9.1 りん酸塩皮膜の生成機構
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9.1 りん酸塩皮膜の生成機構(Generation mechanism of the phosphate film)
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1.りん酸の基礎
9項でも示したように、水溶液中におけるりん酸は、次式のように、水溶液のpHに応じて三段階にかい離します。
例えば、水酸化ナトリウムのような、強アルカリ物質による中和滴定曲線を図9.1.1に示します。
[図9.1.1] NaOHによるりん酸の中和滴定曲線
りん酸塩処理液は、りん酸を各種の金属カチオンおよび、必要に応じて水酸化ナトリウムやアンモニアによって、中和した水溶液です。りん酸鉄処理であればpH3.5~4.5程度、それ以外のりん酸塩処理であればpH2.5~3.5程度に調整されています。この範囲の処理液のpH(酸性)の場合、リン酸イオンの大部分は、H2PO4–の形態をとり、りん酸鉄処理であれば若干のHPO42-、それ以外のりん酸塩処理の場合は若干のH3PO4を含んでいます。
2.りん酸鉄処理以外の皮膜析出機構
全てのりん酸塩処理の皮膜析出機構を、一元的に説明することは難しいので、ここではりん酸鉄処理を除く、りん酸塩処理についての皮膜析出機構について考えましょう。
りん酸亜鉛処理を除く、りん酸塩処理の対象は基本的に鉄素材になります(りん酸亜鉛処理は、鉄の他、亜鉛及びアルミニウムも処理可能です)。
りん酸塩処理液は、pH2.5~3.5の酸性水溶液ですので、鉄素材が処理液に接触すると、まずアノード反応として、鉄が2価の鉄イオンに酸化されて溶解します(エッチング)。
(1)アノード反応:
Fe → Fe2+ + 2e–
アノード反応により、放出された電子は、処理液中の水素イオンもしくは硝酸イオンの還元に使用されます。りん酸塩処理液には、酸化剤として硝酸が配合されています。硝酸イオンは水素イオンより還元電位が低いので、硝酸イオンの方が優先的に還元されることにより、水素ガスが大量に発生することを防止します。これは、電気分解時の復極作用と同様の働きで、分極を促進するとともに、ガスの発生によって物理的に皮膜形成が阻害されることを防止する役割を併せて持たせています。
(2)カソード反応
10H+ + NO3– + 8e– → NH4– + 3H2O
2H+ + 2e– → H2 ↑
カソード反応は、水素イオンを消費する反応であり、pHが上昇します。鉄素材表面近傍では、処理液のpHよりもpHが上昇しています。処理液中のりん酸イオンは、処理液のpHの範囲では大部分がH2PO4–の形態をとり、処理液中にある各種の金属イオンと共存可能な濃度に調整されています。一方、鉄素材表面では、pHの上昇により難溶性の塩になり、鉄素材上に沈殿析出します。なお、皮膜析出反応は、実質的にはカソード部で進行するので、カソード反応に含まれるものといえますが、本項の説明では、独立した項目として皮膜析出反応として整理します。
(3)皮膜析出反応
2H2PO4– + 3Zn2+ + 4H2O → Zn3(PO4)2・4H2O + 4H+ (ホパイト)
2H2PO4– + 2Zn2+ + Fe2+ + 4H2O → Zn2Fe(PO4)2・4H2O + 4H+ (フォスフォフィライト)
2H2PO4– + 2Zn2+ + Ca2+ + 4H2O → ZnCa(PO4)2・2H2O + 4H+ (ショルタイト)
4H2PO4– + 5Mn2+ + 4H2O → Mn5H2(PO4)4・4H2O + 6H+ (ヒューリオライト)
この中で、ヒューリオライトに関しては、同じ結晶系に非化学量論的に素材から溶出した2価鉄イオンが取り込まることが知られています。これを考慮すると皮膜成分の化学式は、(Mn1-x,Fex)5H2(PO4)4・4H2O と示されます。
これらの皮膜析出反応式は、すべて水素イオン反応であり、カソード反応でのpH上昇に応じて、ルシャトリエの法則にのっとって進行します。
素材が鉄の場合は、処理液中に2価鉄イオンが存在しなくてもエッチングによって溶出した2価鉄イオンの一部が皮膜に取り込まれるために、表9.1.2に示した様に、りん酸亜鉛処理では、ホパイトとフォスフォフィライト、りん酸亜鉛カルシウム処理では、ショルタイトとホパイトとフォスフォフィライト、りん酸マンガン処理では、ヒューリオライトが析出します。
鉄素材をりん酸塩処理した場合、エッチングによって溶出した2価鉄イオンの一部は皮膜に取り込まれるが、残りは処理液中に拡散して蓄積します。りん酸亜鉛処理やりん酸亜鉛カルシウム処理の場合、2価鉄イオン濃度が亜鉛イオンとのモル比率が過剰になると皮膜析出が阻害されます。
[表9.1.2] 各種りん酸塩処理における処理液中金属成分と析出皮膜成分
りん酸鉄処理を除くりん酸塩処理の処理液のpHは2.5~3.5程度で、この環境下は処理液中の2価鉄イオンは溶存酸素によって徐々に3価鉄イオンに酸化されていきます。
4Fe2+ + O2 + 2H2O → 4Fe3+ + 4OH–
3価鉄イオンは、可溶性の2価鉄イオンと異なり、処理液中のりん酸イオンと結合して不溶性の塩を形成して、りん酸鉄スラッジとして沈殿析出します。処理液中にりん酸イオンが存在する限りは、処理液中に3価鉄イオンは蓄積しません。
Fe3+ + H2PO4– + 2OH– → FePO4・2H2O↓
鉄素材の処理による2価鉄イオンの発生速度と酸化速度とが平衡でない場合、処理負荷が高くなると2価鉄イオンが蓄積限界を越えて皮膜析出に支障をきたすために、酸化を促進する工夫が必要です。具体的には過酸化水素や亜硝酸塩のような酸化剤を投入する方法と、エアバブリングにより酸化を促進する方法とがあります。
酸化剤投入による方法は、即効性がりますが、投入量が多すぎると大量のスラッジを発生して、pHが低下するので、スラッジ除去とpH調整とが必要になります。
それに対して、エアバブリングは極端なpHの変化が無いので、処理しながら処置が可能ですが、酸化速度が遅いため処理負荷に追いつかない場合もあります。
これらの酸化する方法は、制御が煩雑です。そのため、あらかじめ処理液に酸化剤を添加することにより、エッチングによって溶出した2価鉄イオンを即座に酸化して、2価鉄イオンを事実上含まない処理液とする方法があります。この場合の酸化剤は、亜硝酸イオンが最も一般的に用いられています。
亜硝酸イオンは、通常は亜硝酸ナトリウムの形で添加されます。0.1~0.2g/L程度の低濃度で、2価鉄イオンに対して十分な酸化力を有しています。しかも鋼材に対するエッチング力もあり、優れた添加剤です。
6Fe2+ + NO2– + 8H+ → 6Fe3+ + NH4+ + 2H2O
りん酸スラッジは不溶性ですので、処理液中の化学反応には関与しません。しかし、スラッジの蓄積を放置していると、鉄素材状に形成された皮膜の上にスラッジが付着して、生産上不具合を生じるので、デカンテーション(decantation)やフィルタリングによってスラッジを系外に除去する必要があります。
図9.1.3 に、りん酸亜鉛皮膜の析出モデルを示します。
[図9.1.3] りん酸亜鉛皮膜の析出モデル
りん酸亜鉛処理の場合は、鉄以外の金属素材、亜鉛やアルミニウムへの皮膜析出が可能です。鉄以外の金属であっても、アノード反応およびカソード反応は、鉄の場合と同様です。異なるのは、アノード藩王の際に処理液中に溶出した金属の挙動です。
亜鉛素材は亜鉛めっき鋼板などに使用されますが、鉄イオンの溶出(供給)が無いのでフォスフォフィライトを形成せずに、ホパイトのみの皮膜になります。溶出した亜鉛イオンの一部は皮膜に取り込まれます。処理液中に拡散した亜鉛イオンは再び皮膜成分として作用します。
アルミニウム素材については、カソード反応による素材表面のpH上昇により、ホパイトが皮膜として析出します。ただ、溶出したアルミニウムイオンはすべて処理液中に拡散されます。処理液中に高濃度のアルミニウムイオンが蓄積すると、りん酸アルミニウムの沈殿反応がホパイトの析出反応より優先的になって、ホパイトの析出を阻害します。そのため、対応策として処理液にフッ化物を添加して、溶出したアルミニウムイオンを処理液中でスラッジ化させて、デカンテーションやフィルタリングで除去します。
3.りん酸鉄処理の皮膜析出機構
りん酸鉄処理の処理液組成は、5~10g/L程度のりん酸を水酸化ナトリウムやアンモニアなどのアルカリにより、pH3.5~4.5に調整した水溶液で、必要に応じて少量の反応促進剤(エッチング剤)が添加されます。ただし、鉄イオンは存在しません。
処理液のpHが高いため、エッチングにより溶出した2価鉄イオンは、酸化剤が無くても速やかに3価鉄イオンに自然に酸化されます。
4Fe2+ + O2 + 2H2O → 4Fe3+ + 4OH–
3価鉄イオンの一部は、Fe(OH)3を経て、皮膜乾燥時に脱水によりɤFe2O3となり、残りは処理液中のりん酸イオンと結合してFePO4・2H2O として、沈殿析出します。どちらの化合物も非晶質です。
Fe3+ + 3OH– → Fe(OH)3↓
Fe(OH)3 → 3/2H2O + 1/2ɤFe2O3
Fe3+ + H2PO4– + 2OH– → FePO4・2H2O↓
これより、りん酸鉄皮膜は、ɤFe2O3とFePO4・2H2O とからなる複合化合物です。FePO4・2H2Oが20~30%程度で、残りがɤFe2O3と考えられています。X線解析による回折線が観察されませんので、非晶質の薄膜が素地上に均一に皮膜していると推定されます。
りん酸鉄処理でも、りん酸鉄スラッジが発生しますが、処理液のpHが高いため、エッチング量が少ないことから、他のりん酸塩処理と比較するとスラッジの発生量は少ないです。
参考文献
表面処理 日本金属学会
リン酸塩処理の基礎 石井 均 表面技術 Vol.61,No.3 2010
塗装前処理としてのりん酸塩処理 中山隆臣 表面技術 Vol.64,No.12 2013
引用図表
[図9.1.1] NaOHによるりん酸の中和滴定曲線 表面技術 Vol.61,No.3 2010
[表9.1.2] 各種りん酸塩処理における処理液中金属成分と析出皮膜成分 表面技術 Vol.61,No.3 2010
[図9.1.3] りん酸亜鉛皮膜の析出モデル 表面技術 Vol.64,No.12 2013