転職の思い出
転職の思い出(Memories of changing jobs)
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だらだら書いてすみません。
管理人が転職したのは、1989年の春でした。このサイトの読者で、まだ生まれていなかったか人のほうが多いかもしれない大昔の話です。
転職したいと考えたのは、今の多くの人の転職理由と同じでした。
親戚の会社でしたが、どうしようもないブラックな会社でした。
仕事量が客観的に見ても、こなせる量ではないのに、社長は、
「お前らの効率が悪い。仕事が遅いから残らないといけないんだ。」
と、のたまい、残業をいくらしても1時間もつけてくれませんでした。
給料も、「これでどうやって生活していくの?」 と嫁さんから言われるほどの薄給でした。
嫁さんからは、「子供が生まれるまでに何とかして。」と懇願されていました。
会社での残業をこなして、家庭教師やZ会のバイト、技術翻訳のバイトと、学生時代にもしたことがない、バイトの掛け持ちをしました。
社長には、「今の社業で儲からないなら、新しい製品を考えましょう。」と新しい企画を何度も提案しました。
でも、本当は従業員の給料を安く抑えていたのと、管理人が担当になっていた製品が、国内向け・海外向けのプラントに多くが採用されており、ほぼ1社独占で納入していたので、そこそこ儲かっていたのです。
社長にしたら、今更リスクは負いたくないとの気持ちがあったのだと思います。
わたくしには、
「お前ら設計が、客にいらんことを勝手に約束してオプションの金がもらえないから大赤字や。」とのたまい、給料の改善なんて全く考えていませんでした。
嫁さんからは、
「子供ができたら私はしばらく仕事ができない。今までは私の金でなんとか暮らせていたのよ。もう生活が破綻する。」
と言われて、これはダメだなと観念して、いまもあるかどうかわからないですが、転職エージェントに登録しました。
最初は、「マンパワー」というところでした。
なんとか時間を作り、面談していただきましたが、
エージェントに言われたのは、
・年齢が高すぎる(35歳になっていました。)。
・中小企業からの転職は難しい。
これは、なんとなく納得しました。その頃は、35歳での転職は年齢が行き過ぎていました。20代での転職が普通でした。
中小企業からの転職で、そんなに良いところには行けないだろうなとの思いはありました。
でも、もう一つ意外なことを言われました。
「あなたは、IQが高すぎる。IQの高い人は、協調性に欠けるとして嫌がられる。」
これは、まったく理解できませんでした。かなりシャイなところはありましたが、人当たりが悪いとは思っていませんでした。
納得できなかったですが、エージェントの方もそれ以上は仰らず、「探しておきます。」ということで、面談は終わりました。
転職しなければならない事情は、どんどん切迫してきたのに、マンパワーから1カ月くらい、何の音さたもなかったので、今度は「リクルート」に登録しました。
やはり面談前に適性検査のようなものをさせられてからの面談でしたので、マンパワーと同じことを言われては、転職先を紹介してもらえないと考えて、知能検査になりそうな個所は、出来の悪くなるように解答していきました。
結果、エージェントとの面談で言われたのは、やはり「IQが高い人間は、転職が難しい。」でした。
IQを調べてそうなところは、けっこう答えのレベルを落としたのにと思ったので、思い切ってエージェントに「IQが高いって、どれくらいあったのですか?」と尋ねました。
「145 ですから、問題ですね。転職先の人と問題を起こさないことが大切なので、協調性に欠ける可能性のある人は難しいですね。」と、ここでも協調性欠如と言われてしまいました。
心の中で、『エー、145なんてざらに居るやん。』と思いましたが、すっかり心が折れてしまいました。
結局、最初に登録したマンパワーのエージェントから転職の集団面接を紹介され、何とか元の会社より大きな会社に転職することができました。
今なら、IQは高い方が、特にIT関係では絶対に重宝されると思いますが、30年前はまだまだ人間関係が重視されていたのですね。
この後、会社を辞めると社長に申告した時の顛末も、すざまじいものがありましたが、それはこのコンテンツの改訂版で。
技術者の場合、基本的に転職するときは、転職エージェントに登録するのがお勧めです。
親身になって考えてくれるエージェントにあたれば、本当にいろいろなアドバイスをもらえます。
若い技術者の方が、登録してよかったと思える転職エージェントを、是非見つけてください。
たまたまこの間まで居た会社の転職組で、出来そうな人にそれとなく、転職エージェントのことを聞いてみました。もちろん複数のエージョントに登録されていましたが、何人かの人が、パーソルは比較的親身に探してくれました、言っていたのを覚えています。
ORG:2021/08/05